20年前・・・53歳の時
塗色名スーパーレッドの車が
分不相応で贅沢でしたが
・・・どうしても欲しい
・・・訳の分からない言い訳し
まだ国産のセダンでは
赤い車は珍しい頃でした
そのころ出かけると何故か・・・
飛騨のクラフト協会のOさんから
展示会の出品や相談の電話が
メゾンエオブジェ・・・?
オリベクラフト展・・・?
パリ、ニューヨーク、ケルン・・・
私の絵がようやくの日の目のころ
まさかその10年程後に
アメリカで約二か月間もの
個展ができるなんて思ってもいない
貧しくても・・・心は豊かに
じゃないとイイ作品できないって
言い訳ばかりのころ
赤い車との12年は
私が一番成長した時でした・・・
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